「三代の栄耀一睡のうちにして…」と『奥の細道』で芭蕉に詠われた奥州藤原氏。その栄華を象徴したのが「金色堂」。金色堂は中尊寺の中に建てられた。正式名称は「阿弥陀堂」といいます。建物の内外に金箔を張り付け、その中にある阿弥陀像は金箔で覆われています。その輝きは極楽浄土を表しているともいわれ、奥州藤原氏の三代、清衡、基衡、秀衡の遺骸を納めており、国宝第一号にも指定されています。
さらに、藤原氏は『宋版一切経』を金1万5,000両で購入。中尊寺の傍に建立された毛越寺では、京都の仏師に薬師如来を造らせ、手みやげに金100両を贈っていました。
実は金色堂の前に類似の建物が造られています。出羽三山の1つ羽黒山の手前に黄金堂(こがねどう)という建物が神亀5年(725年)に建てられています。すでに存在しない建物であるためどのような構造かは分からないが、出羽三山の周囲には金鉱が多くあり、さらに黄金堂という名称であったことから、金鉱の金をふんだんに使った建物であった可能性が高いとされています。金色堂はそれを真似したのかも。
戦後、金色堂を描いた30円切手が発売されました。ところが、金色が抜けた切手が出回った。1990年にテレビ東京の「なんでも鑑定団」に出品されたが、1シート(=100枚)が500万円と評価されていましたね。今では1,000万円を上回るのは確実かもしれません。
切手の重さは1枚1グラムもありませんが、金より何十倍も高価な切手かもしれません。