「平成」が終わり、「令和」が始まりました。今回は生前譲位ですが、
古代では天皇が変わらなくても、よく改元が行われていました。
その改元にはお金がからんだものもあります。
奈良時代、聖武天皇は「世界一の大仏を造ろう」と祈願されました
。ところが、日本では当時、金をほとんど産出していませんでした。
「金をどう集めるか」聖武天皇は悩みに悩みました。
その時、陸奥国小田郡(現在の宮城県遠田郡)から、「金が産出した」との報が届きました。
西暦749年のことでした。喜んだ聖武天皇は元号を「天平感宝」と変更しました。
さらに、金を献上した陸奥の国司百済王敬福の官位を、従五位から従三位へと一気に7段階も引き上げました。
百済王敬福という名前からして彼は朝鮮からの渡来人だったようです。
当時、先進的技術は大陸からもたらされていて、金採掘もその技術があったからこそ出来たのかも知れません。
歌人大伴家持も金産出の報を聞いてこんな和歌を詠みました。
皇祖(すめろぎ)の 御代栄えむと東なる 陸奥山に黄金(くがね) 花咲く
さらに朝廷は同年、「天平勝宝」に改元、同4年、
「国府の所在地多賀以北の諸郡は正丁(大人)で金1両を納めよ」との令を出しています。
これは、大仏建立のためにとにかくお金が欲しかったからと言われています。
「令和」の時代が「天平感宝」と同様、「黄金の花咲く日本」になればよいのですが・・・。
ちなみに、天皇の称号は生前に使ってはならないため、「今上天皇」と呼ばれています。