シーザーが台頭する前、ローマ政界のトップに立った男がいます。その名はルクルス(紀元前118~同56年頃)。
彼は中東遠征で大勝利して、一時はカスピ海沿岸まで攻め入って、名将の名をほしいままにしました。
ところが、ルクルスは勝ったにもかかわらず後退を余儀なくされました。
勝った時、略奪品を部下に配るのがローマ風。ところが、ルクルスが部下に配った略奪品は極微量。
多くは自分の懐に入れました。これにより部下がついて来なくなり、元老院によって解任されました。
これは余談ですが、ルクルスがローマに戻り行った凱旋式は、史上空前の豪華な凱旋式だったといいます。
「敵から奪ったものとして、戦車、捕虜とならんで、宝石をちりばめた盾、銀の壺、
33個の金杯を積んだ22の担架、8頭のロバに引かれた黄金の輿に56の銀塊、270万ドラクマの金貨が続いた」(『ローマ人の物語』)
ルクルスはあり余る財宝を抱えて引退、ローマ郊外の別荘に引き籠って美食に明け暮れた贅沢三昧の余生を送りました。
「ある時、キケロとポンペイウスが予告もなく彼を訪れた時、食事に約5万ドラクマをかけました。これは庶民の年収の10倍にのぼった」とか。
いくら民衆の人気が悪くても、気にもとめなかったに違いありません。西欧ではいまでも豪華な食事を「ルクルス式」と呼んでいるそうです。