1115年、中国東北部(旧満州)の地に「大金」という国が建てられました。
大金の支配地は、内モンゴルから中国東北部(=旧満州)に及んでいましたが、
ここは金の大産地でした。
地から採れた金があり、旧満州を東西に貫流した大河松花江の支流、按出虎水という地から砂金が採れました。この按出虎水という言葉自体、女真語で「黄金の川」を意味しています。
この按出虎水周辺には完顔部という女真族が住んでいました。中国東北部に遼という国があり、この地は遼の支配下にありました。そこで遼の商人がこの地域に入り込み、金や物産を安く買い叩きました。さらに役人が税金を取り立て、苛斂誅求(酷く厳しく取り立てをすること)を行いました。
それを怒った女真族が反乱を起こし、国を建てました。それが「大金」というわけです。その後、中国でその国が「金」と呼ばれました。
女真族が国名を「金」としたのは、金の産地を支配していたからに違いありません。といっても、砂金はもともと川にあったものではなく山から流れて来ます。満州の西方には大興安嶺という大山脈があります。そこから金が流れ出したのかもしれませんね。