古来、世界中には大金持ちといわれる人が数多くいます。古代ペルシャのダリウス大王、アレキサンダー、エジプトのファラオ、金融財閥のロスチャイルド等々。だが、「最も大金(きん)持ち」とNHKが折り紙をつけた人物がいます。それが徳川家康でした。
家康は秀吉から「わしより家康の方が金銀を持っている」と存命中にいわれたとか。あの〝金大好き人間秀吉″にして、そう言わせるとは相当でしょう。当時から、家康の金銀への執着は一般にかなり広く知られていたようです。なぜ金銀へそこまで執着していたのかというと、軍資金として金がいかに大事かを家康は知っていたからです。
家康は1616年4月16日に75歳で亡くなりましたが、その時600万両に相当する金銀を残しました。そのうち、約半分が銀で、残り300万両が金でした。
といっても、この300万両がすべて小判だったわけではありません。63.4%が小判で、大判が14.6%、分銅金が9.1%、印子金が0.3%、11.6%が砂金などでした。これをみると、とにかく金ならあらゆる形の金を保有していたのです。
これをそのまま保有していた金の量を小判に当てはめると、小判だけで192万両に達します。並みの量ではありません。しかもこの小判はいずれも金の含有量が極めて高い慶長小判やそれに類したものでした。時価に換算したらいくらになるのでしょうか。家康が「世界一の金持ちだった」という説もうなずけるものがあります。