古代ローマの好敵手だったのがカルタゴである。カルタゴはフェニキア人の植民都市で地中海はローマの対岸アフリカのチュニスの地にあった。地中海全域、いや大西洋まで足を延ばして交易を行い、莫大な富を築いた。
北アフリカというと砂漠の印象が強いが、それは現在の話。当時は灌漑設備を完備させ、大量の農産物が採れた。カルタゴはそれを輸出して金銀を蓄えた。このころ、サハラ砂漠の南では金が採れ、サハラ砂漠を横断してカルタゴにも金が送られてきた。カルタゴはこのようにして集めた金を基に、紙ではなく皮のリボンで「金券」を作った。この金券は大変信用が高かった。カルタゴが保有していた金に裏打ちされていたからだ。いわば「兌換紙幣ならぬ兌換金券」。カルタゴは“金本位制国家”だったともいえる。この結果、カルタゴの通貨は地中海世界では、現在のドルのような地位を占め、国際通貨でもあった。
国際通貨であったというと、「カルタゴは誠実な商人国だった」と思われがちだが、必ずしもそうではない。商人はスパイを兼ねており、その報告によって勝てると思ったら軍隊を派遣、征服した土地も多かった。『英雄伝』を書いたプルタークはカルタゴ人を評して「目下の者には傲慢、負けた時には卑屈、勝ったときには残酷」と記している。当時、「カルタゴ人の約束」とはラテン語で「裏切り」を意味するともいわれていた。とんでもない国家だったのだ。