「金貨に肖像を刻ませる」。このような政策は古代から連綿と現在まで続いている。もちろん、古代ローマでは幾つもの皇帝が自己の肖像を金貨に刻ませている。暴君といわれたネロも金貨を造った。
だが、ネロの造った金貨はそれまでの皇帝が造った金貨とはまったく違っていた。従来、金貨には神と皇帝個人の顔しか刻んでいなかったが、ネロは母アグリッピーナと自分の顔を対峙させる金貨を造ったのである。
ネロは当初、皇帝になれそうになかった。しかし、16歳の時、アグリッピーナが強引に皇帝の座に押し上げた。そこで、というよりアグリッピーナの望みでこんな金貨を造ったのだろう。
ネロはマザコンで「自分の思いどおりにしよう」とアグリッピーナが画策した。彼女は会議にまで出て、その権力を振り回した。女性が簾の影に隠れて政治を操るのを中国では垂簾政治(すいれんせいじ)といったが、それと同じだった。これに腹を立てたネロの王妃がアグリッピーナと対立、ウソ八百をネロに吹き込み、結局、アグリッピ-ナはネロによって殺されてしまう。
我々はいまもネロの金貨を見ることができる。いかにも気の強そうな母と、気の弱い腺病質な男の顔が感じられるのは気のせいだろうか。