黄変米というコメがある。かつて、タイから輸入されたコメの中に黄色に変色したコメがあり、これを黄変米と呼んだ。このコメは肝硬変を引き起こすのではないかといわれ、時の厚生大臣が心配ないことを証明しようと、わざわざ試食会を開き、それが報道された。ところが、中国には明の時代に「黄米」「白米」というのがあった。といっても黄色いコメでも白いコメでもない。「黄金を黄米」、「白銀を白米」と称したのだ。
第10代皇帝孝宗帝(在位1470~1505年)の時代、宦官のトップ大鑑に李広というボスがいた。彼は賄賂を取ったことが発覚、自殺させられたが、死後、彼の家を調べたところ政府高官から大量の黄米、白米が送られてきたのがわかった。それを聞いた孝宗帝は「李広はなぜ、そんなにコメを食べたのか」と不思議がったそうだ。孝宗帝は「黄米は黄金、白米は銀を表す隠語だった」ことを知らなかったのだ。孝宗帝は名君といわれ、その治世はかつてなく平穏だった。その名君の下でも賄賂が横行、しかも、皇帝はそれを知らなかったのだ。皇帝が無知だったいうより、それほどに汚職は一般的だったのだ。
この話は正式な歴史書『明史』にも載っている。「浜の真砂は尽くるとも」とよくいわれるが、賄賂がなくなることはまずない。現在でも密かに〝黄米〟〝白米〟をむさぼっている権力者が多いのではないだろうか。