皆様こんにちは(´ー`)
本日は、豊臣秀吉にスポットライトをあてて
『金』ついてお話していこうと思います☆
皆さんもご存じ、豊臣秀吉!!!!
貧しい家の出身で足軽兵だったのですが、
だれよりも出世したため、天下統一を取ったことで有名な武将ですね
そんな天下一の武将が残した伝説がこちら
→『秀吉の埋蔵金』
どのぐらいの金が埋まっているの!?
その金は誰が受け取ったの??
一緒に金と歴史について勉強してみましょう☆
その伝説によると、秀吉は「いざ」という時に備え、
かつて日本屈指の銀山だった「多田銀山」へ大坂城にあった金を埋蔵したとされている。
その額は4億5,000万両。重さは約3万貫、なんと112.5トンに達するという膨大なものだ。
多田銀山は当時銀を採掘していたが、閉山にして金を埋めたという話もある。
しかもこれを隠すために、多田銀山で働いていた鉱夫や住民数千人を追い出し、
さらに死罪人を使って深く埋め、坑道をふさぎ、埋蔵に当たった罪人をすべて殺したとされている。
だが、秀吉が本当にここまでの残虐な行為を行っていたとしたならば、必ず歴史に刻まれているはずだ。
第一、秀吉は大金(きん)持ではあったが、112.5トンもの金を持っていたとは考えられない。
それに加え秀吉は、息子秀頼の行く末を案じており、もし金を持っていたならば急な場面で役に立たない多田銀山ではなく、
身近な大坂城に残しておいたはずだ。事実、大坂城の落城時には多くの金銀があり、それらは全て家康の手に渡ったという。
また、多田銀山では度重なる検索を経ても一欠けらの金も発見されていないようです。
まだ、皆さんにもチャンスがあるかもしれませんね(笑)