江戸時代では、銀貨を「銀座」で製造していたので現在も地名としてその名が使われています。また、当時金貨(=大判、小判)を製造していた場所は別にあり、それは「金座」といっていたそうです。
江戸時代末には現在の東京都中央区日本橋本石町に「金座」がありました。
実はこの場所、現代では日本銀行本店のある場所にあたります。
日本銀行は当初、同じ中央区の小舟町にありましたが手狭になり、金座の跡地を購入。
そこに移転することにしました。ところが「金座の跡の土砂には金が混じっている」といわれ、採掘を申し込む人が後を断ちませんでした。
そこで、日本銀行は明治21年、銀行の建物を建築する前に数社に採掘を認めました。
この時、採掘料として1,000円(当時の価格)が日本銀行に入りました。いまと違い、
当時の1,000円は相当な価値がありました。金貨を造るとき、当然いくらかの金がこぼれ、それが土に含まれている可能性は十分あります。採掘者は「1,000円を払っても元が取れる」と見ていたようです。
採掘された金の量はどの程度かは、いくら調べても分からなかったそうです。