「尾張名古屋は城で持つ」とはよくいわれているが、名古屋城を象徴するものといえばなんといっても、天守閣を飾っている2匹の金の鯱(しゃちほこ)ではないでしょうか。鯱は最初火除けの呪いとして作られましたが、後に尾張徳川家の権威を表すシンボルになりました。
もっとも金の鯱といいますが、すべてが金で作られたわけではありません。名古屋の鯱は木の芯に鉛の板を張り、その上を銅板で覆い、最後に金で覆いました。その金も、徳川家康が秀吉に対抗して造った日本最大級の金貨、慶長大判を延ばしたものです。使った慶長大判は約1,940枚、使った金はおおよそ215.3キロだったといいます。金の純度は約84%と高く、東海道や美濃街道からもその輝きが見えたそうです。
明治4年に宮内庁に移管されましたが、これまでに4回鯱に使った金が盗まれました。なかには、駐屯していた兵士が盗んだものもあります。そこに加え、残念なことに第二次世界大戦で焼失してしまいました。現在の金の鯱は昭和34年10月に造られた二代目の鯱なのです。
実は名古屋城の鯱は雄と雌の2体があり、金の使用量が異なりました。昭和34に作られた鯱は北側が雄。高さ2.62メートルで、金の使用量は44.69キログラム。南側が雌で高さが2.57メートルで、43.39キログラムの金を使っています。雄の方が1キログラム以上多くの金を使っているわけです。女性が強くなった今はこんな鯱はもう作れないかもしれません。