古代、大量の黄金を産出したサハラ砂漠の西側の地域。ここは現在、「黄金海岸」とも呼ばれています。この地域では数千年に渡ってヨーロッパに大量の金を供給しており、近代でもその余熱は続いていました。主に金を供給していた国は、17~19世紀に栄えたアシャンティ王国です。
アシャンティ王国はアシャンティ族という民族が建てた国です。17世紀末、オセイ・トウトウという首長が諸部族を統合して建国しました。大量の金を産出し、同時に奴隷を輸出。その対価として英国から武器を購入し、近隣諸国を征服しました。こうして大きな国家を成立させました。
ここは諸部族の統合した国で種族の首長が大首長(=国王)となって黄金の床几に座っていました。
18世紀に最盛期を迎えたが、湾岸諸国を征服しようとしてイギリスと対立、敗れて滅亡した。最終的にこの地域は英国の植民地になりました。
アフリカ諸国の悲劇は部族間の対立をヨーロッパ諸国が利用した面もありますが、自ら武器をつくる産業が無かったことも一因でしょう。黄金と奴隷の輸出は一時的に武器購入の役に立っても、自ら武器を生み出せなければ結局は戦争に勝てません。アフリカの悲劇はもしかすると、黄金に頼りすぎたからかもしれません。