フランス革命でギロチンの露と消えた悲劇の王妃、マリー・アントワネット。贅沢の限りを尽くし、「パンがなければケーキを食べればよい」といった世間知らずの彼女(実は革命派が流した嘘)の死には金貨が大きくからんでいた。
1789年、フランス革命が勃発し、命の危険を感じたルイ16世は密かに姿を変えて、マリー・アントワネットを伴い、王妃の母国、オーストリアのウイーンを目指して逃げ出した。この時、ルイ16世は自分の顔を鋳込んだ金貨を旅費としてばらまき、逃亡した。しかし、高価な金貨は庶民の手の届くものではない。そこで「このような金貨をばらまくのは普通の人ではない」と不審に思われ、「ルイ16世である」と見破られ、革命派に捕まってしまったとか。つまり、世間知らずはマリー・アントワネットではなくルイ16世だったのだ。
マリー・アントワネットは4年後、断頭台にかけられた。もし、金貨ではなく銀貨を出していたら捕まらずに母国オーストリアに逃げ帰り、命をまっとうしたかも。もっとも、この話は正史には載っていない。ルイ16世はオーストリアに逃れる時、家臣を多く伴った”大名旅行〟だった。それが革命派に「非常時に国を見捨てて逃げ出すとは」と思われ、不信を買ったのが処刑に原因ともされている。
ただ、マリー・アントワネットが贅沢の限りを尽くしていたことは間違いない。