「宮殿は床も屋根も黄金で葺いていた」。こんな文を見ると、誰もがマルコ・ポーロの『東方見聞録』の中のジパングを思い起こすに違いない。だが、これはジパングではない。赤道直下はインドネシアのジャワ島にあった宮殿のことなのである。
ジャワ島では、13世紀から14世紀にかけてマジャバイトという王朝が栄えていた。1321年、イタリアの宣教師デドリゴ・エデ・ポルデノーネがこの地を訪れ、その豪華さにびっくりして、こんな言葉も残したのだ。彼は公書き残している。
「金と銀が交互に張られた建物と金銀を敷き詰めた歩道のある宮殿があった」
元は日本に遠征軍を送っただけではなく、ジャワ島にも遠征軍を送っている。ところが、これも日本同様に失敗している。「神風が吹いた」というような記録は残っていないが、陸戦を得意とする蒙古軍も海戦には弱かったようだ。それと当時、マジャバイト王朝の力も強かったのだろう。風土の違いで疫病が広がったのかもしれない。、
ジャワに遠征軍を送ったのは、日本に遠征したのとほぼ同じころだった。そこで、マルコ・ポーロはデドリゴ・エデ・ポルデノーネの言葉をどこかで聞いたのかもしれない。
だが、ジャワには本当にそのような豪華な宮殿があったのだろうか。ジャワはその後オランダの植民地になった。そこには黄金の宮殿も、金銀財宝のかけらもなかった。金銀財宝はオランダにすべて奪い去られたのかもしれない。