167 平清盛、宋に金を贈る
『平家物語の巻3』に、こんな話が載っている。
「鎮静より妙典という船頭を召し上せ、人を遥かにのせて、御対面あり。金を3500両召し寄せて『汝は大正直の者であんなれば、500両をば汝にあたぶ。3000両を宋朝へ渡し、育王山へ参らせて、1000両を僧に引き、2000両をば御文へ参らせ、田代を育王山へ申し寄せて、我が後世弔はせよ』とぞ宣ひける」
要するに平清盛が中国に金3000両を持って行かせ、1000両を育王山という寺院に寄贈して亡くなった長男平重盛の菩提を弔わせ、2000両を皇帝に献上した」という話だ。
後世を祈ってもらおうと寺院に寄進をするのは分かるが、その倍を皇帝に献上しているあたり、当然、その見返りを計算したと思われる。この話の真偽は不明だが、平家はそれほどに対宋貿易に力を入れていた。
そして、それが富の源泉のみならず力の源泉だったことを当時の人はよく知っていた表れといえる。
平清盛は福原(今の神戸)に港を建設、一時は京都から都を移すなどして貿易に力を入れた。後白河法皇を福原に招き、金100両を贈ったといわれている。
平清盛は「宋銭を日本の通貨として採用しよう」と試みたが、公家の反対で断念している。しかし、その後、宋銭は大量に流入、日本で貨幣が鋳造されなかったこともあり、実質的には長い間、日本の貨幣として使われた。