大仏建設時、朝廷の金献上への命令が厳しく、それに困った地方が多かった。それかあらぬか『続日本記』にはこんな話も載っている。
「天武天皇3年(674年)、対馬の国司忍海造大国(おしぬみのみやつこおおくに)が対馬国佐須鉱山で銀が発見されたとして献上してきた。しかし、金は発見されていないため、天武天皇は三田首五瀬(みたのおびといっせ)を対馬に派遣、『金を採掘せよ』と命じた。
すると、天武天皇5年(701年)、『金が発見された』として、三田首五瀬が金を献上してきた。喜んだ天皇は年号を大宝元年に改めた」
ところがこれは真っ赤な嘘。対馬では金を発見することができず、困った三田首五瀬が苦し紛れに新羅(現在の朝鮮)から金を輸入、それが後に判明したという。
対馬の鉱石には若干、金が含まれているものもあったが、当時の金は砂金が中心で、鉱石から大量の金を分離、精製する技術がなかったようだ。
天皇に嘘を付くことは大罪。下手をしたら死罪にもなりかねない。それにもかかわらず、このような嘘が行われたことは、いかに朝廷が金の収集に力を入れていたか想像して余りある。いや、このようなウソは対馬だけではなく、おそらく、全国各地で行われていたのではないだろうか。同時に、金の産出額が「黄金の国ジパング」という言葉とは裏腹に奈良時代以前はあまり多くはなかった証拠ともいえるだろう。