日本一の金山といわれた佐渡金山。約1600年、関ヶ原の合戦後徳川家のものとなり、
相川金山が開発され、日本一の金山の名をほしいままにしました。だが、佐渡での金の採掘はこの時始まったわけではないと言われています。実は、平安時代から金が採れていたそうです。ここで『今昔物語』に載っているこんな話をご紹介しましょう。
「能登の国(今の石川県)に砂鉄を採っていた人がおり、『佐渡で金が採れる』と言っているという話が国司の耳に入ったそうです。そこで、国司が『金を採ってきてほしい』と長(おさ)に頼んだところ『小さな船一艘と食料をくれれば採ってこよう』と長が答え、それを与えると20~30日たって長が袋を持ってき、その中に金が1,000両ほども入っていた」という話やこんな話もありました。
「ある時、佐渡でニラを買った人が土を洗ったところから金が見つかったと言われています。そこで、野菜売りに聞いた場所に行ったところ、ニラの植えてあった土からから砂金が採れたそうです。以降、土を渡さなくなった」そうです。
これらはすべて砂金で、採れた場所は相川金山のあった三川とは平野を隔てた反対側の西三川だったといわれています。これを見ると、佐渡では相川金山が開発される1000年前から島内の各地で砂金が採れていたということがわかりますね。