中世を彩ったものに十字軍があった。十字軍とはキリスト教の聖地エルサレムを目指した軍のことで、イスラム教徒と戦うこともありました。十字軍は(諸説あるが)六回行われたといわれています。もっとも広く知られているものは、英独仏のトップがこぞって参戦し、イスラムの王サラディンと戦った第三回十字軍ではないでしょうか。
この戦い、サラディンの戦略が十字軍を上回り、十字軍はあえなく敗退。
この時、獅子心王と言われた英国王リチャード一世は、サラディンとの講和の帰り道、
シリアのダッカを攻略し市民の金銀財宝を奪い、イスラム教徒の兵士3,000人を捕虜にし、その身代金として金貨20万枚を要求したそうだ。しかし身代金が来ないと分かると3,000人を本当に殺してしまったそうです。
しかし、サラディンはエルサレムを落とした時、キリスト教を象徴する黄金の十字架は引き下ろしたが、そこにいたキリスト教徒は殺さず、財産を持って退去することを認めており、兵士もわずかな身代金で解放、身代金を払えなかった兵士は無償で本国に帰還させています。このことより、イスラム教は「寛容の宗教」といわれていますね。