中世から近世にかけ、インドを統治していたのがイスラム教の国ムガル帝国(1520~1858年)です。そのムガル帝国の秘宝に「孔雀の玉座」がありました。この玉座、当初は燭光をイメージしていたところから「太陽の玉座」ともいわれていました。それに「孔雀」という名がついたのは王座の背後に孔雀の絵が2つ描かれていたことによります。
この王座、全体が黄金で覆われ、本物の孔雀が羽を開かずに逃げ出すほどの豪華な椅子。1665年、デリーを訪れたフランス人はこう記しています。
「王座は20から25インチの黄金の足によって支えられ、天蓋はルビー、エメラルド、真珠、ダイヤなどで覆われていた」
まさに黄金に輝く、大帝国ムガルを象徴するにたる玉座でした。この玉座、首都デリーにある宮殿の謁見の間に置かれており、製作費は1億ルピーにのぼったとか。
この孔雀の玉座は数奇な運命をたどります。1738年、イランのガージャール朝2代目ファトフ・アリー・シャーがデリーに侵攻した際、イランに持ち去ったのです。イランでも歴代の王が使い、王権の象徴となりました。以降、イラクの玉座は「孔雀の玉座」といわれています。
ただ、それも長くは続きませんでした。イランは1836年、当時の王ムハンナド・シャーのために新たな玉座をつくり、それも孔雀の玉座というようになりました。最初の孔雀の玉座はお蔵入りとなり、1981年からイランの宝石博物館に展示されています。