家康と家光を祀った墓所、それが金銀で彩られた東照宮である。東照宮は最初、静岡県の久能山に作られた。当時、「徳川幕府を倒すのは西国諸藩」と考え、それを睨むためだったいわれてる。
それが日光に移されたのは「江戸が落ちた場合、日光を最後の抵抗地にする」ためだったとか。その真偽はともかく、「日光を見ぬうちは結構と言うな」といわれた日光東照宮だけに、その絢爛豪華な様は目を奪うばかりだ。この東照宮は三代将軍家光の時に大改修され、駿河の久能山から家康の墓所を移し、いまの東照宮はほぼその時の形を残している。家光が全国の大名に号令して造らせただけに、結構を極めている
この時にかかった費用は金が56万8,000両、銀が100貫目。当時の小判は1両に15グラムの金が含まれていたので、金だけで計8,520キログラムに相当する費用がかかったことになる。そのうち、金がどれほど装飾に使われたかは分からないが、奈良の大仏の金の使用量が58.5キロだったので、その約15倍に達する。もっとも、「総工費」ということになると、どちらが多かったのだろうか。
また、金1両は銀50匁で、100貫の銀は2,000両の小判に相当する。そこで、金に換算すると銀だけでも8,550キログラム相当の金ということになる。