日本では、美人は「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といわれており、
古代中国では「金蓮歩」といわれていたそうです。
唐が倒れ、北に遊牧民の国、南に中国人の国が乱立した南北朝の時代。
南朝の南斉(西暦779~502年)に、東昏 (とうこん)という 侯(侯爵)がいました。
東昏は 寵姫の潘妃 (はんき) のために地上に金製の蓮華を撒き、その上を歩かせました。以来、美人のあでやかな歩みのことを金蓮歩というようになったそうです。
これは『南斉史本紀』という本の中で語られている故事です。東昏は皇帝の一族で正式には宝巻といい、典型的暴君でした。酒色に溺れ、荒馬で民衆の中を駆け抜け、女性や子供まで蹴殺したといわれています。これがたたってなのか、若くして一族の蕭衍に殺され、結局皇帝になることはできませんでした。そこで史書には「東昏侯」と書かれました。東昏侯とは「東の暗君」という意味です。しかし、「美女と虐殺」とは中国において暴君の定番的表現。本当に東昏がこのような暴君だったかどうか、かなりの疑問も残ります。
ちなみに、「金蓮歩」は纏足 (てんそく) の別名となりました。纏足は清の時代まで続き、女性を苦しめました。美女は必ずしも幸せではないようです。また、中国には「金蓮花」という言葉もあります。これはノウゼンハレンという花の別名。とかく「金」は美人の表現にはついて回っていたようですね。