忠臣蔵のクライマックスはなんといっても吉良邸への討ち入りではないだろうか。では、それまでに、どの程度の費用がかかったのだろうか。
箱根神社にはそれを記した文書『預置候金銀請払帳』が残っており、大石内蔵助が浅野家取り潰し後に預かっていたお金をどう使ったかを、綿密に書いている。それによると、使ったのは総額691両。意外に少ない感じだが、当時の物価等を考えると、現在の価格に換算すると、相当に高かったと思われる。
このうち、127両は浅野内匠頭のご内室(=妻)に渡されて内匠頭の墓などの建立に使われ、他にはお家再校の工作費に65両使っている。残りが討ち入りの費用ということになる。
武具の購入費は槍が1本2分、長刀が1本1両、鎖帷子と鉢カネに1両2分など、合計六両。最も多かったのが江戸と上方との交通費で、討ち入りのため江戸に下った同志には1人3両が渡されている。江戸滞在の同士への生活費の補助に1カ月2分出したそうだ。
映画などでは大石内蔵助は京都山科に住み、吉良の密偵の眼をごまかすため、京都・祇園にある料亭一力茶屋で遊んだとされている。だが、その費用は自腹だったようで、ここには入っていない。
「さすが大石、公私の別はきちっとしていた」といいたいところだが、当時はまだ一力茶屋などなく、この話は眉唾のようだ。しかも、大石内蔵助は当時170両しか所持していなかった。「これでは茶屋遊びなどできなかった」との説もある。