江戸時代、財政が窮迫した各藩は藩札という一種の紙幣のを出した。さすがに江戸幕府はそのようなものには手を出さなかったが、慶応3年(1867年)、手持ちの資金が枯渇「背に腹は換えられぬ」と思ったのか、各藩の藩札と同じ機能を持つ「金札」というものを発行した。幕府の瓦解の前わずか3カ月のことだ。
額面は100両で、関東地方で流通できた「江戸横浜通用金札」と「江戸及び関八州通用金札」、関西地方で流通させる「兵庫開港札」を計画した。しかし、幕府の崩壊で流通はしなかった。
金札は金貨に替えられなければ意味はない。金の裏付けがないと流通しない。いわば、兌換紙幣ともいえる。江戸幕府はすでに、金の保有量が枯渇、金札を出せるほどには信用がなかった。これでは流通するわけがなかった。
いま、景気刺激に国債を発行している。これは、流動性を増やし、景気を刺激する効果があるが、金札もそれと同じような効果を持った面もある。しかし、藩札も国債も麻薬のようなもの。一度手を出すとなかなかやめられない。藩札はほとんどが紙くず同然になった。
幕府は金札を発行したかと思ったら、すぐ崩壊してしまった。国債もインフレになると紙くずになる。「藩札(金札)の運命は国債の運命」になるかもしれない。大きな破局を招く恐れもまた大きいといえる。