古代、中国は周辺諸国に金印を与えていました。これは日本でも見つかっています。
江戸時代の天明4年(1784年)、志賀島(福岡県)で「漢倭奴国王」と彫られた金印が発見されました。これは「後漢の初代皇帝光武帝が九州の豪族に下賜したものでは」と推定されています。
この金印、一辺が約2,3センチの正方形で、高さは約2.2センチ、重さは108グラム。
つまみに蛇の文様が刻まれています。日本では「これは日本で作られたものだ」という偽造説も流れたが、どうやら中国で作られたという説が正しそうですね。
なぜかというと、福岡県埋蔵文化財センターが分析したところ、金が95.1%、銀が4.5%で誤差は±0.5%との結果が出ています。当時、中国大陸の砂金には金が90%以上、銀が3~4%、銅が1%未満、その他水銀などが含まれていたといわれており、金印の成分の大変似通っていたため、中国で作られたという説が正しいとされています。
しかし、光武帝が下賜したものかどうかははっきりしていません。
魏志倭人伝には邪馬台国の女王卑弥呼に「今、汝をもって親魏倭王となし、金印紫綬を仮し」と書かれています。しかし、魏は後漢より200年近く後に成立した国であるため、この金印は志賀島で発見されたものとは別物でしょう。
邪馬台国の所在地は九州説と大和説があり、今も論争が続いています。
もしこの金印が発見されたならば、発見場所によって論争に終止符が打たれるかもしれません。